約1年弱鳴かず飛ばずだった僕たちの会社、貿易や飲食やいろいろ試してもうんともすんとも言わなかった素人二人の会社。
すっかり諦めかけていたところ、どうにかこうにか仕事が来るようになってきた。子供が生まれたから仕事が来るようになったというよりは、子供が生まれて必死さに磨きがかかったことと、中途半端に日本に戻るようなことができなくなったという覚悟が良い方向に向かったのだと思う。
なぜ仕事が来るようになったといえば、日本語の先生をしていたときに同僚だった人が別の会社で働いているときに翻訳者を探していたのが、そこで僕に話が回ってきたのだった。
当時は、まだまだ中国語をちゃんとした日本語に翻訳することができる日本人というのも少なかったし、翻訳という作業はPCとネット回線があれば始めることができるので、僕たちのように元手もツテもコネもない会社にとっては敷居が低い仕事だった。
もちろん、コンスタントに翻訳の仕事が入ってき始めると、翻訳が簡単に始められる仕事というのはまったく甘い考えで、相当に高度な知識や、幅広い語彙、両国の文化理解や、時事に対する洞察が必要となる作業だというのを身にしみて感じた。
それでも、今までまったく仕事が無かったのが面白いようにどんどん依頼が来るものだから、三日で睡眠時間が2時間なんてことがあったとしても、仕事が来ること自体がうれしくて、どんな依頼が来てもできるだけ断らないで受けるようにした。
今思えば、知り合いとはいえこんな素性もよくわからないような会社に翻訳の仕事を出すお客さんも大英断だと思うし、当時はまだまだ中国ビジネスも緩い部分が多かったのも確かだ。
ひたすら翻訳を続けることで、ようやく収入も得ることができるようになった、月収も最終的に日本語の先生をしていたころから8倍に跳ね上がった!
と言っても日本語の先生でもらっていた給料が1500元くらいだったので8倍でも10000元ちょっとにしかならないのだけども、何はともあれ会社としてお仕事を受け、売り上げが立つようになり、ようやく人様に「会社をやっています」と言えるようになったのはとてもうれしかった。
その後、運良くお仕事が増えて行く中で、最終的に翻訳業務はやめてしまった(基本的にミスは許されない割には報酬が低く、優秀な翻訳者を多数抱えるのは難しいので生産性が上がらない)のだが、翻訳業務をやっていく中で会社の運転資金を貯めることができるようになり、知り合うことができたお客さんや知人、友人とのつながりができてその後更に新しい事業を生むきっかけになったのは確かだ。
今はもう翻訳を業務としては請け負っていないが、初心を忘れないように今でも時折翻訳の作業をするようにしている。
中国奮闘記 第一部了