奥さんから強引に説得されて、無職でヒモから会社社長になった僕は、二人で会社を作ると決心した翌日さっそく行動を開始した。
さしあたって、奥さんが親戚で旅行会社をやっているおじさんに会社を作るにはどうしたらいいかを電話で質問した。おじさんも「何をするかは作ってから考える!」という奥さんのものすごいポジティブ思考にちょっとびっくりしていたが、親切にいろいろと教えてくれた。
何でも、オフィスビルなんかにいくと、「~経済城」とか「~経済区」というような地方都市や上海市の郊外の区なんかが出張事務所を開いていて、そこに申し込めば簡単に会社を開くことができるらしい。
地方都市や郊外区にとっては会社をたくさん登記してもらうことによって税金をたくさんおさめてもらえるというメリットがあるので、登記してくれた会社には3年間無税等、いろいろな優遇や便宜をはかってくれる。更に毎月税金を納める場合も、この出張事務所へ
行けば、財務関係の書類作り等も全て代行してくれる(毎月300元くらいの代行手数料がかかる)ので、会社を作るというのはことのほか簡単だった。
そのほか資本金を決定したり、業務範囲を登録したりと細々とした作業がたくさんあるのだが、基本的にはこの出張事務所の人が全部やってくれるので、難しいことはほとんどなかった。
いろいろ聞き回った結果、僕たちは上海市の郊外区にあたる青浦区というところの経済城
に会社を登記することにした。
会社を作るの簡単だった、さて問題は”何をするか?”だった。
勢いで会社を作ってしまっただけに二人ともノーアイデアで、今にして思えば当時の迷走ぶりは笑い話どころではないほどだ。一応二人で頭を捻った結果行き着いたのが貿易をやるということだったのだが、貿易と言っても輸出も輸入ある、食品も衣料も工業機械も何でもある、さらに正確に言うならポッと出の小さい会社である僕たちは貿易はできないのだ、国際貿易にはライセンスが必要でそのライセンスを持っている会社でなければ国際貿易の取引ができないの、僕たちはそういうライセンスを持っている会社を通じて取引をするしか方法がない、だから正確には僕たちが始めたのは「貿易仲介」だった。
当時はまだ中国の人件費は相当に安くて、日本のたくさんの会社が中国で何かを生産して日本に持ち込みたいと思っていた時期だった、僕たちはそういう日本の会社に連絡をして、中国で実際に製品を生産し、それを日本に送り届けるお手伝いをしようと僕たちは考えた。
今のようにBtoB仲介をしてくれるような便利なウェブサイトが無かったので、中国の会社と日本の会社がやりとりをして、ものを作り、実際に日本に運ぶというのは、間に日本語と中国語がわかる人が立たないとなかなかうまく行かなかった時代、僕たちはこれは絶対うまくいくと意気込んだのだが
結果から言うと最初の「貿易仲介業」は大失敗だった。
ちなみに、当時(2001年ころ)そろそろ中国の向上と海外の企業の委託生産のやりとりをネット上で解決してしまえという野心的なサイトが現れはじめたころだったが、それが「アリババ」だったのだから、馬雲さんの将来を見通す目はすごいものがある。
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