話は戻って、前回日本語学校の給料が一ヶ月2000元から1500元に下がったところで決心したというところ。
結論から言うと僕は日本語学校を辞めた。
張さん(仮名)からは、「せめて次の先生が見つかるまで待って欲しい」と言われたが、これまでの張さんのやり口をみていると、どうせ引っ張るだけ引っ張って「まだ新しい先生がみつからないから待ってくれと」と僕を働かせるに違いなので、月末いっぱいで辞めた。
留学生として上海にやってきた僕は異国の地で無職になってしまった。
勢いで辞めてしまったものの、次の仕事がみつかっているわけでもなく、しかも外国だ。すさまじい後悔の念に襲われて、何度も張さんにもう一回電話して「やっぱり戻ります」と言おうかと迷った。
無職である、収入ゼロである、外国である。
1500元でも、ゼロ元の1500倍と考えたら雲泥の差だ(ゼロはいくつかけてもゼロだが、そのくらい差がある
というのを表現したかったのでお許しを)。
猛烈な焦りを感じた、正直なところ「このまま上海で大道芸人やって、全然人気なくて、そのまま餓死かな」等と大げさなことも考えた。人間追い込まれると思考があり得ない方向へいくこともあるというのはこのとき学んだ。
ところで、日本語学校を辞めろとすすめたのは家内だ。
「考えてみなさい、一日8時間、土日も授業があるから、一ヶ月で約28日。給料が月1500元だったら時給いくら?7元いかないでしょう、今上海で時給7元以下で働いてる日本人なんてあたなくらいよ、将来のためとかかっこつけてないで、現実をみなさい!」
と、うすうす気づいていたけれでも、考えることを避けてきた目の前の現実を彼女に真正面から指摘されたのがきっかけだった。
彼女は、多分に優柔不断なところがある僕のケツを本田圭佑の無回転FKばりに振り抜いてくれる、正直でストレート、飾り気のない性格が気に入って結婚した(結婚してもらった)。
今回もその助言に従って日本語学校を辞めた。
とはいえ、繰り返すが無職である。已に夫婦になっていた僕たちは、彼女が航空会社で働いていたときに購入したマンションに住んでいた。その当時は彼女も已に航空会社のCAの職を辞して留学した日本から戻ったばかりだったし、2人とも仕事がなく、彼女の貯金を切り崩して生活していた。
無職の上にヒモである。
通常、中国の人が結婚する場合、結婚するときに男が住む家を準備しておくのが普通だ。僕の場合、家が無いどころか彼女に養ってもらっている状態であり、これは中国の結婚観からすると論外だった。
親戚や彼女の友人、知人は彼女に「絶対新手の詐欺だ」とさんざん忠告していたに違いないが、そういうのを一切僕の耳に入れないようにしていた彼女はすごいと思うし、人間の器が相当に大きい。
いずれにせよ、そんな方々からのプレッシャー、物理的に無収入という状況を打開するためには仕事をしてお金を稼がなければいけない。でも、成長著しい上海といっても、たかだか日本語の先生をちょっとかじった程度の経験しかない日本人が簡単に仕事をみつけられるほど甘い街でもない。
優柔不断で保留癖がありながら、どこまでも楽観的なところがあるもののさすがに沈んでいた僕に家内はこう提案した。以下当時の会話。
家内「2人で会社をつくりましょう、あなた社長になりなさい!」
僕「は?」
家内「は?じゃないのよ、2人で会社つくるのよ、幸い私は少し貯金があるし、このお金で会社を興して、お金をかせぎましょう。」
僕「いや、会社ってそんな簡単に言うけど、何やるの?僕会社なんてやったことないよ。」
家内「私だって会社なんて作ったことないわよ、誰だって最初は初めてでしょう。何やるかなんて作って考えればいいのよ、大体あんた今だって無収入なんだから、何かやらないと永遠に収入ゼロよ。あなたは日本人だし、私は中国人だから2人でがんばれば絶対何かチャンスがあるはずよ。」
僕「それはそうかもしれないけど、社長なんて僕の性に合わないよ、そんないきなり経験もないのに・・・・・」
家内「ムキ-っ!、じれったいわね、このまま行ったら私の貯金は半年で無くなるわ、半年待ってたら本当に2人とも無職で一文無しよ、私は親戚や友人から詐欺に引っかかって大変な目にあったと笑われたり、慰められたりするのよ、あなたそれでもいいのっ?、それより今少しは余裕がある間に何かしないと、チャンスもなくなっち
ゃうのよ、あなたのは何の経験も無いけど、みた目は人がよさそうで、誠実そうにはみえるから、社長兼営業にむいてるわ。私は女性で中国人だから日本へいきなり行っても言葉も無理だし、話を聞いてもらうのも難しいし、でも一応10年社会人やっているから人間関係とか、相手の考えていることとか、何を話せばいいとか、そういうことはあなたにアドバイスできるし、2人でやればきっとうまくいくと思うの」。
僕「誠実そうにはみえるってところが失礼な感じだが、おおむね当たっているので、確かにそんな気もする。」
家内「そうでしょう、絶対うまくいくわ。さっそく明日から行動開始よ、すごいわ、私たちの会社よ、私社長夫人よ。」
僕「なんか希望が出てきたね、明日から準備にとりかかろう。ところで、中国で会社ってどうやったらつくれるのかなあ。」
家内「わかんないけど、どっかに申し込むところがあるでしょう、まずはそれを探しましょう。」
2001年9月、こんな切羽詰まった状況を打開すべく、上のような会話を経て、僕たちの会社は何の方向性も無く立ち上がり、僕は社長に、彼女は社長夫人になった。