中国奮闘記(21)

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 彼女との日本語学校設立という話は、僕が已に張さん(仮名)と日本語学校を立ち上げていることと、現在のところ大連までいくつもりは無いというので立ち消えになったが、僕と彼女の付き合いは、その後も続くことになった。

 
しばらくお友達としてのお付き合いが続いたが、健全なグループ交際等も経て、最終的には正式に恋愛関係のお付き合いとなった。中国の女性との恋愛というのも初めてだったし、だからといって日本の女性との恋愛経験もそれほど豊富でなかった僕なので、日本人と中国人であったとしてもそれほどのギャップもなくつきあうことができた。
 
彼女が割とせっかちな性格なのに対して僕は生来から鈍感なのんびり屋であったので、たまに喧嘩したとしてもそれほど深刻なことになることは少なかった。喧嘩するときは彼女は中国語で僕は日本語になるのだが、当時はお互いに表面的な言葉しか理解できなかったこともあり、決定的に傷づけるようなことにならなかったのが、今にして思えば良かった気もするし、この関係は今も続いていたりする。
 
上海の女性は”きつい”というので有名だが、それも夏のスコールのようなもので、一瞬ものすごい勢いで降るが、しばらくするとぴたっと止むので、後を引くことは少ない。逆にあまりにすぱっと切り替わるので、僕が面食らうほどだった。
 
まだグループ交際だったころ、僕は初めて彼女のおうちに招待された、当時の僕にとって上海の生活圏というのは、日本語学校と自分の家付近しかなかったので、それ以外のエリアというのは未知の世界に近く、彼女のおうちというのもその未知のエリアに位置していたこともあり、一人で誤解してかなり怖い思いをした覚えがある。
 
彼女と彼女の友人(男性)と僕とでタクシーに乗り込んで、彼女の家に向かったのはよかったが、タクシーはどんどん僕がみたことがないエリアへ走っていった。しかも道路脇の街灯もあまりついていないうえに、対向車両も10分に2台くらいしかみることができない。
 
そのうち、暗闇の向こうから巨大なガスタンクがみえてきた。暗い通り、対向車両も少ない、ガスタンク、これは何か危険な臭いがする。そういえば彼女の友達という坊主頭の男性も怪しく見えてきた、これはやっぱり僕のパスポートや身柄が目的なんじゃないかと勝手に先走った僕は、引きつった笑顔で耐えていたが、かなりびびっていたのは確かだ。
 
それから15分ほど真っ暗な道をタクシーは走ったが、10月の涼しい時季なのに緊張のあまり大汗をかいていた僕は逆に彼女たちからみるとかなり怪しくみえたに違いない。そうこうするうちタクシーは何事もなく、彼女が住むマンション街に着いた、入り口にローソンがあり、その看板をみたときは何となく安心して体の力が抜ける感じがしたのを覚えている。
 
何のことはない、彼女の住むエリアは空港からあまり離れていないエリアで、CAさんである関係上その辺に住んでいたというだけのことだった。空港は一般的に郊外にあることが多いので、通ってきた道が寂しく感じただけらしい。
 
とはいえ、あまりよくわからない外国人が、夜タクシーに乗ってガスタンクのそばを通ったらなにがしら勘違いするだろうという話を後日彼女にしたところ、
 
予想通り、真夏の巨大スコールが降ったというのがこの話が落ちなのでした。

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このページは、qianlanが2010年6月27日 22:35に書いたブログ記事です。

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