中国奮闘記(16)

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 新しく立ち上がった日本語学校で、教務主任を務めることになった僕はその時点で日本語教師経験わずか1年だった、しかももともと日本語教育が専門ではなかった。

 
それでも何とかそれまで使用した教材を総動員し、見よう見まねで時間割等を作り、もう1人の先生といっしょに授業を組み立てた、日本語学校と言えば最近では綺麗な女性が受け付けに座っていることが多いが、我々の学校の受付は張さんの親戚のおばあちゃんだった。
 
日本語学校を問わず、中国企業は大抵スタートアップの場合、家族企業であることが多い。
後で気づいたのだが、我々の日本語学校でも、社長:張さん、もう1人の先生:張さんの奥さん、受付のおばあちゃん:張さんの親戚、掃除のおばちゃん:張さんの弟の奥さんだった。他人は僕だけだ。
 
こういう構成の場合、確かにスタート時は意思の疎通がスムーズにいくのでうまくいきやすいが、一旦事業が軌道に乗ると家族だけにもめることが多い。名だたる中国の大企業も兄弟や家族、夫婦で起業して成功した後、喧嘩別れしたという例もとても多い。
 
ところで、ようやく立ち上がった我々の日本語学校は、当時その付近に日本語学校が無かったことや、日本のドラマが流行していたこともあり結構な数の学生が集まり、順調なスタートを切った。
 
長年の夢が叶った張さんは大はしゃぎで頻繁に学校に現れては自分も授業を担当して、喜びをかみしめいたが、この時僕はかなり大変なことになっていた。
 
まず、通勤時間。当時僕は上海の西の端に住んでいたのだが、学校は上海の北端にあり、バスを三回乗り換えてやっと学校に着くのに要する時間は片道約3時間という、新幹線なら京都から東京まで余裕で行ける距離だった。土日は朝9時から授業があるので、その授業に間に合うためには朝5時過ぎには家を出ないと間に合わない。
 
朝は早起きすれば良いとしても更に問題なのは夜で、平日は夜9時半に授業が終わってすぐに家路についたとしても、帰宅時には日付が変わってしまう。通勤で6時間というのは、さすがにきつく、ついついタクシーを利用してしまうことも多く、交通費が馬鹿にならなかった。
 
中国の会社では交通費や住居費といった補助は出ないのが普通なので、交通費や家賃は貧乏な僕の財政をかなり圧迫した、如何せん給料が2,000元(当時のレートだと約30,000円)しかないので、その逼迫ぶりはギリシャ財政の比ではなく、必然切り詰められる食費は一回1元、一日3元(約50円)で三食1元のチョコレートパンを食べていた。
 
今でこそパン屋さんでチョコレートパンをみても何とも思わなくなったが、ついこの間までチョコレートパンをみると気分が悪くなることがよくあった。
 
思えば、最初に勤めていた日本語学校ではきついなりにも給料は受け持ち授業時間に合わせて毎月平均で7,000元くらいはもらえていたが、新しい日本語学校は固定で2,000元、前の学校では夏期講習等で1万元の収入になることもあったのと比べると、収入が一気に五分の一になってしまったことになる。その減り具合はプロ野球選手だったら調停に持ち込むほどだが、当時の僕にはこれに対抗する術はまったくなく、2,000元の給料に甘んじるしかなかった。
 
思えば、スタート時に張さんの口車に乗せられて、しっかりと労働契約書を作らなかったことと、冷静に考えてみれば達成できるわけがない一定の学生を集めてきたらボーナスなを支払うので基本給は低めという条件を受け入れてしまったことは、当時の何の人生経験もない、内向的な日本人の僕ならば必然的に発生する失敗だった。
 
ちなみに、中国では基本給与を低くおさえて、仕事の成果によってボーナスを得る提成(ティーチェン、Ti Cheng)という方法がよく使われるが、当時の僕はそれすらも知らなかったわけだから、世間知らずも良いところだ。
 
わずか2,000元で日本人を雇い、自分の夢も実現させた張さんからすれば笑いが止まらなかったに違いない。これについて、張さんの悪意を攻めることは難しいし、今になってみれば、僕にとっても非常に貴重な経験だったと思うことができる。
 
海外で外国人として現地で仕事を探し、働き、生活していくためには様々な困難や問題にぶち当たらざるを得ないし、それがどんな大きな問題であったとしても自力で解決するしかない。目の前に存在する大きな問題を、自分の頭で考えて行動し、解決方法を見つけ出すという物事の進め方は、その後会社を立ち上げたときに僕にとって非常に大きな武器になったし、一日食費3元の生活に耐えてきたことも、いろいろな意味で今でも僕の強力な心の支えになっている。
 
と書いてしまうとなにやら悲壮感漂う雰囲気だが、当時の僕は生来の鈍感が功を奏してかそうした悲壮感や焦りはまったくなく、ただ何となく「なんか俺騙されてない?」くらいにしか考えていなかった。

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このページは、qianlanが2010年6月 5日 23:25に書いたブログ記事です。

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