中国奮闘記(14)

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 日本語学校で働いていた僕は、その後なんとか授業にも慣れてたくさんの授業をこなすことができるようになっていった。

 
幸いなことに学生さんから苦情が出るようなこともなく、脱落する学生もあまりいない授業をできるようになったことは素直にうれしかった。
 
学校で日本語を教えている先生はいろいろな人がいた。日本人の場合は、僕のように留学した後に就職した人、駐在員の奥様でアルバイトとしてやっている人、なんだかわからないけどもう上海に何年もいる人、留学中でアルバイトで来ている人等いろいろで、中国人の場合は逆にほとんどの人が昼間はお仕事をしていて、夜アルバイトで先生をしている人が多かったと思う。
 
中国の場合、本職以外に副業があるというのはあまり珍しいことでは無いし、授業は夜の6時から始まって大体10時までなので、本業が終わってから授業に来ることができる。そのときは何も思わなかったけども、今実際に自分が会社を経営する立場になってみると、自分の会社の社員が副業で夜遅くまで働いているとしたら、翌日ちゃんと仕事してくれるのか心配になるし、勤務中にボーっとしていたり、寝ていたりする社員をみかけると、ひょっとして副業やってるんじゃないのと疑ってしまう(弊社は一応副業禁止です)。
 
その後約1年の間、日本語学校で先生をやっていたのだが、授業に慣れるに従って準備→授業→準備→授業という無限ループに飽きてきたこともあり、退職しようかなと思うようになった。
 
そのときも留学終了時と同じで選択しは二つ、ひとつは日本へ帰って仕事を探す、二つ目は中国に残って別の就職先を捜すこと。
 
ますます悪くなる日本の景気と、相変わらずの保留癖という僕の欠点が遺憾なく発揮される将来の進路は、順当にいけば今の日本語学校に残るという選択だったはずなのだが、予想外の展開が発生し、なぜか新しい日本語学校立ち上げに参加するということになった。
 
いつになく積極的に物事に関わっていって獲得する成果が、給料が今までの5分の一になってしまうことだとはこのときはさすがに予想だにしなかった。

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このページは、qianlanが2010年5月29日 22:03に書いたブログ記事です。

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