中国奮闘記(12)

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 今でこそ上海は日本食レストランが山のようにあって、食材やら調味料等もどこでも手に入るようになったけども、2000年当時は日本食というのはなかなか貴重だったし、なので、時折日本に戻った際に、調味料やインスタント食品を大量に買い込んで持って帰るのが普通だった。

 
決して高くはない日本語学校の先生の給料では毎日外食というわけにもいかないので、自炊をしていたわけだが、野菜や肉等普通の食材は家の近くにある菜場(市場)で買えば驚くほど安かったので、このときに料理の一通りを覚えたのは中国留学の成果の一つでもあるかもしれない。
 
とはいえ自分で作った和食のような中華のような料理も毎日では飽きてくるので、月に2、3回登場して大活躍するのが、日本から持ってきたカレールーやすし太郎で、準備→授業、準備→授業の繰り返して疲れ切っていた僕の心を唯一いやしてくれるのがカレーとすし太郎だったことを思えば、○ウス食品さんと○谷園さんには感謝してもしきれない。
 
その日も待ちに待ったカレー曜日で、僕は張り切って準備をしていた。野菜を切り、肉を解凍、カレールーも中辛をチョイス、隠し味用のダシの素(後日カレーうどんを作るために和風に仕立てる)もぬかりなく、スーパーで買ってきた愛用の30元鍋に野菜を入れまずは軽く炒める。
 
やや火が通ったところで、鍋に水を注ぎ込むわけだがここで事件が起きた。
 
僕が当時住んでいた家は交通の便は良いもののやや古いマンションでガスコンロも今のようにキッチンに埋め込まれていたりとか、ガス栓が金属製というのではなくて、ガスの元栓からゴムホースでコンロにつないでいるタイプのものだった。日頃から火とゴムホースの距離が非常に近いことを危惧していたわけだが、この日うきうきでカレーを作っていた僕は、そのことをすっかり忘れて豪快に鍋に水を注ぎ込んだところ、水が少しこぼれてコンロの火にかかってしまい、火が一瞬大きく燃え上がった。
 
 
とその瞬間、ゴムホースに火が燃え移りみるみる溶解、ホースが一瞬で溶けてしまった。
 
 
となると、この後どうなるか。想像通り元栓からガスが出ているわけだから、ガスに引火して火がごうごう吹き出し始めたのである。わかりやすく言えば中東の火が吹き上がる油田のようなイメージだ。
 
まさに掘り当てた!という勢いで火がごうごうと燃えているのをみてパニックになりながらも、とにかく家が火事にならないようにコンロの回りから燃えそうなものを全て取り払ったうえで、ガスの元栓を閉じようと試みたが元栓が火の向こう側にあるので手が出せない。ぬれたタオルをかぶせようとしても、火が大きすぎてかぶせた瞬間にタオルが燃えてしまって、かえって危ない
 
このままでは埒が明かないと思った僕は、燃えそうなものをとにかく徹底的に取り除いたうえで、中国の消防署に電話した。
 
つづきます。

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このページは、qianlanが2010年5月22日 17:04に書いたブログ記事です。

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