まずもって日本語がわかるということと日本語を外国人に教えるというのはまったく別のことだ。
簡単な例をあげると「ドアを開ける」と「ドアが開いている」の違いを中国の人に教えるとなると、これは相当に難しいことになる。言葉で説明してもまったく理解してもらえないので、身振り手振りを交えて「ドアを開ける」と「ドアが開いている」を必死に説明する様子ははたからみているとジェスチャーゲームに近い。それでもクラスに10人いればわかってくれるのは半分いればいい方で、完璧に理解してもらうことは不可能に近かった。
学校には日本人の先生と中国人の先生がいたのだが、中国人の先生はやっぱりそういう中国の人が理解しにくい部分や文法を、自分の経験も交えながら教えるのがとても上手で日本人ではそうしたことをうまく説明するのは難しい。逆に日本人の先生は母国語というので、存在自体が生徒さんから受け入れられやすいし、自分たちの生活習慣や文化、体験等が全て授業のネタになるという強みがあった。
日本はこんなことがあって、日本人はこんなことを考えていてと話をするだけで、生徒さんがとても興味を持って聞いてくれるというのは、毎回事前に資料を準備して、当日大勢の生徒さんの前で説明して、質問を受けるというなかなか大変な仕事のモチベーションにもなったし、以前にも書いたがこの経験は、現在の仕事にもとても役だっている。
とはいえ、いくら日本人だからといってそうそう毎回新鮮なネタがあるわけでもないし、文法等もしっかりと教えないといけないので、事前の準備は相当に大変だった。授業は1コマ50分だけど、その50分の授業のための準備は最低でも1時間はかかるわけで、一日に四コマ持ったとすると、準備には3時間は普通にかかっていた。
教科書を一周すれば、次回は準備したものが再利用できるから多少楽になるとはいえ、それをやると今度は授業がつまらなくなっていく。学校といいなが、日本語スクールは商売なので、先生の授業がつまらないと学生さんもだんだん来なくなるし、他の先生の授業で、スタート時は生徒さんの数が20人だったのが最後は4人かになっているのをみると、これは相当なプレッシャーで、やはり毎回新鮮なネタを準備せざるを得なくなる。
日本語を勉強しにきているのだから、そんなにいろいろやらなくても教科書の内容を普通に教えればいいし、それで来なくなる人がいるならそれはその生徒の問題だから気にすることはないという考えの人もいたが、僕個人的としてはお金をもらってサービスを提供しているという意味では日本語学校もその他のサービスと同じなのだから、そこまで割り切ってやってしまうのはせっかくお金を払って来てくれている生徒さんに失礼だなあと思っていた。
実際はそんな偉そうなことを言うまでもなく、中国の人に日本語を教えるのは楽しかったし、準備は非常に大変だったけれども、人前で何かを説明すること、その反応をみながら話題を微修正しつつうまく皆を参加させる空気を作ること、会話の中から生徒さんのニーズをくみ取ること、日本語を教えることで身につけた技術は非常に多かった。
そして何より一番大きかったのは、先生を経験したことで性格が多少外向的になったのことと、猫背が治ったことでした。
コメントする