30分ほどで飽きてきたことを抜きにすれば、人生で初めて生でみた砂漠は言葉にできないスケールと感動を僕に与えてくれたことは確かで、友人の「人生感変わるな!」という言葉も月並みながらその通りだと思った。
一面に広がる砂の海、まさにドラマに出てくるような砂漠、見渡す限りのなめらかな砂粒が織りなす山脈をみながらしばし感動にひたりながらどのくらいの時間がたったかわからないが、そろそろ帰ろうということになった。
が、友人が一言つぶやいた「出口どっち?」、この言葉で一気に現実に引き戻された。感動の勢いにまかせて、砂の山を適当に歩き回ったせいか、覚えていたはずの砂漠公園の入り口の木枠の方向を忘れてしまったのだ。
あっちをみても砂漠、こっちをみても砂の山、景色がみな同じにみえる。目印になるような建物もない。映画やドラマのように砂嵐が来たりはしなかったけれども、今自分たちがどこにいるのかは完全に見失ってしまったのは確かだ。
木枠を抜けてきたのが確か夕方の4時くらい、それからしばし砂漠にみとれて30分、その後木枠を捜してさまよったのが1時間半くらだった。1時間半さまよったところで、突然恐怖感が襲ってきた「やばい、迷った」。言葉がわからない外国の街中で迷うのとはまた違う、砂の海にほっぽり出された怖さはなかなか他の言葉では言い表すのが難しい。
西方の昼は長いので、6時になってもまだ明るいのがせめてもの救い、これで夜になってしまったから確実に迷子になって、ドラマに出てくる砂漠に転がる白骨だ。冗談抜きにそんなことを想像しながら、友人と二人で必死になって考えた。
「下手に歩き回ったら絶対に大変なことになるから、とりあえずここを動かないようにしよう」という意見で一致した友人と僕は、さっきの木枠のところにいたおっさんが気づいてくれることを心で懸命に祈りながら、お互いを慰める気休めを言いながら、恐怖感いっぱいの心持ちをやせ我慢で耐えていた。
でも冷静に考えた「死ぬかも・・・・・・」。
それからどのくらい時間が経ったか、もう諦めかけていたが僕たち二人のところにそれはやってきた。
目の前のひときわ高い砂の山の上のほうから、ラバのような生き物(最後までラバなのか何なのかわからず)を引っ張って、相変わらず無表情のおっさんがとぼとぼと歩いてきたのだ。我々を呼ぶわけでもなく、見つけて感動するわけでもなく、お家に帰るように普通にこちらに近寄ってきた。
僕らはもう助かったという気持ちと、ほっとしたやら、恐怖から解放された脱力感やらで声にならない声でおっさんのところへ駆け寄って、つたない中国で伝わったかわからないけれども、感謝の言葉を山のように述べた。
それでもおっさんはいたって冷静に我々に一言
「公園已経関門了」 砂漠公園はもう閉園ですよ
おっさんは、僕たち二人が戻ってこないの、閉園することができず家に帰れなくて困ったいたそうです。
ともあれ、砂漠の民のおっさんに感謝した砂漠で遭難騒ぎでした。
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