中国奮闘記(6)

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留学生にも長期休みがある。休み期間中は、帰省する人(駐在員の奥さんや企業派遣のサラリーマン学生が多い)と中国の国内旅行に出かける人(自費留学の人が多い)に分かれるが、僕は国内旅行に出かけることが多かった。

 
あまり深くは考えていなかったが、上海に留学しているだけでは中国全体を理解したことにはならないし、なんと言っても上海は皆普段上海語を話しているので、普通語の実力をアップするためにも、いろいろな街へ行ってとにかく中国語を話して、聞いて、中国を理解してこようというのが当時の旅行の理由だった。
 
留学中の二回の長期休みで、北京、大連、青島、ハルピン、鄭州、煙台、ウルムチ、トルファン、ホータン、洛陽、西安、成都、広州、福州、長沙、合肥、蘇州、杭州、南京、無錫、揚州、アモイ等へ行った(もっと行ったような気がするが忘れた)。
 
当時は学生でお金も無いから、基本的に移動は長距離バスか鉄道で、バスなら10時間、鉄道なら20時間の移動というのはザラだった。ホテルは一泊20元くらいの、部屋ではなくてホテルがバックパッカーに開放している地下室が基本で、街中の移動は徒歩、あまりに距離があるときはバイクタクシーを使った。
 
旅行というのは、語学の上達という意味では最高のシチュエーションだ、なぜならありとあらゆるトラブルに見舞われるからだ(笑)。
 
もう忘れてしまったこともたくさんあるけれど、覚えているだけでも書いてみると。
 
 
北京では夜ホテルの地下室で寝ていると、50年に一度の大雨とかで、大量の雨水が部屋に流れ込んできた。
 
洛陽では、ドアの無いタクシーに乗せられて、運ちゃんに笑顔で「ある意味オープンカーで快適だろう?」と言われた。
 
青島では、明らかに賞味期限が過ぎている海鮮を振る舞われて予想通りお腹を壊した。
 
鄭州では、鉄道が駅を通りすぎて停車。降りたらみたことも、聞いたこともない村だった。
 
鄭州の近くの少林寺では、お坊さんのスカウトを受けて、もう少しで出家しそうになった。
 
トルファンでは砂漠で迷子になって、あやうく遭難しそうになった。(これは後日詳細書きます)。
 
杭州では、市価30元のお茶を3,000元で売りつけられそうになった。
 
成都ではパンダをみにいこうと誘われてついていったら、パンダのぬいぐるみを見せられて500元とられた。
 
長沙では乗った遊覧船が座礁した。
 
等々、こういうトラブルとも事件ともいえる出来事に出会うたびに、自分が持っている中国語の能力を総動員するわけだから、普通の勉強だけでは習得することができない、中国語能力を身につけることができたのは確かだ。
 
旅行に行けば、学校で勉強した内容をベースにして、どういうシチュエーションでどいう表現を使えばいいか?、どういう言い方をすれば通じるか?中国の人は何を考えているのか?というのを知ることができるし、、様々な地方の人々のいろいろな普通語のなまりやアクセント、癖を理解することができる。それに中国という国の大きさ、ひとくくりに中国人は・・・とは言えない多様性を理解することができるので、旅行というのは中国語上達のため、中国理解のための最高の機会だと思う。
 
そんな旅行を繰り返しながら、僕の留学生活はあっという間に終わろうとしていた。

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このページは、qianlanが2010年5月 2日 11:16に書いたブログ記事です。

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