当時は日本も相当に不景気で、個人的には仕事も見つからなかったわけではなかったけれども、本音を言えば自分がやりたいと思う仕事ではなかったから、しばらく中国へ留学して、1年か2年経てば、景気も回復して、自分がやりたいと思う仕事も見つかるようなるだろうと思ったのが、その後10年、日本は「失われた10年」と言われる長期不況に突入するのだから、僕のあてはまったく外れていたことになる。
まあ、そんなことは当時は予想できるはずもなく、何はともあれ僕の留学生活は始まった。入学したのは、上海にある華東師範大学という日本で言う教育大学に当たるところだが、僕が入ったのは4年学ぶ学部ではなくて、中国語を学ぶための「漢語班」というもので学生は皆外国人だった。
華東師範大学は当時既に留学先としては有名で、学生は300人くらいいた。日本人もたくさんいたが、人見知りの激しい僕はなかなか打ち解けることができず、むしろ言葉がほとんど通じない、コンゴの人やフランスの人等と仲良くなった。フランス人は、みるからにバックパッカー然としていたが、コンゴから来た彼は話を聞く限り本国では相当に裕福な家庭に育ったようで、アフリカから来ている留学生は結構こういういいところのお坊ちゃんがいた。
当時印象的だったのは、クラスの中で最も優秀だったのが韓国の学生だったことだ。これは僕が在籍していたクラスだけではなくて、他のクラスも同じ状況だったようで、初級、中級、高級がレベル分けされている中でも、高級クラスはほとんどが韓国人だった覚えがある。
その後の韓国企業SAMSUNGやLGの中国での躍進も、実はこんなところに芽があったのかもしれないと思うと、韓国の人はすごいなあと勝手に感心したりした。
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